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07 川と人との共存

 「日本最後の清流」と呼ばれる四万十川ですが、四万十川は清流というだけでなく、日本の川として今では他の川であまり見かけなくなったものがあります。それは、川が人々の中で活きているということです。日本の川と人とのいい付き合い方が、ここにはあるような気がします。かつては、日本中でみられた川と人の付き合い方が、今でも残っている数少ない川ではないでしょうか。


 私は、四国には住んだことはありませんが、縁があって、四国にはたびたび出かけます。そして、四万十川も、出かけるたびにではないのですが、ときどき訪れるチャンスがありました。しかし、それはちょっと立ち寄るという程度でした。先日、四万十川だけを、じっくり眺めにでかけました。

 四万十川を源流から河口までたどってみて、いちばん感じたのは、激しく蛇行している川だなということです。まるで、大陸を流れる大河の小型版を見ているような気がしました。四万十川は、四国山地を源流としていますので、上流の川は急流ですが、少し下ると、もう穏やか流れとなり、蛇行をはじめます。そして、いったん海に8kmまで近づくのですが、まだまだ長い流れを経た後、やっと海へと注ぎます。

 四万十川の川原の石や砂を調べながら下っていくと、不思議なことに気づきました。川原をみると、石ころは一杯あるのですが、砂が非常に少ないのです。もちろん皆無ではありませんが、探して採集しようとするとなかなか見つかりません。

 なぜでしょうか。多分、2つの原因による蛇行によって流域面積が狭いためではないでしょうか。

 川が蛇行をしているのは、傾斜の緩やかな平野や平らなところを流れるためです。蛇行をするようなところでは、川の作用として削剥や運搬より、堆積の作用が働くところです。ですから、砂のような堆積物がたくさんたまっていいはずです。

 ところが、四万十川の場合、四国山地の奥深くを急流として流れる面積が少ないのです。つまり、削剥をうけ、砂を供給する面積が少ないということです。さらに、四万十川は、それほど広い地域から水を集めているわけではないのです。四万十川の流域面積は2270平方kmで、流路(幹線流路延長)は196kmです。流路に対して流域面積は12平方km/kmとなり、日本の大型河川でも、もっとも小さいものとなっています。

 川の長さに比べて、流域面積が小さいということは、砂を集め、つくるための面積が少ないことになります。蛇行が激しいと、川が運搬の過程で石を砕くという作用も、それほど強くないことを意味しています。ですから、石ころだけで、砂だけが少ない川となるのでしょう。

 もちろん洪水があれば、激しい削剥、運搬の作用が働きます。でも、その洪水が収まると、小さく軽い砂は運ばれ続けますが、大きく重い石ころは川原に残るのです。このような原因によって、四万十川には砂があまり見当たらないのでないでしょうか。

 四万十川で、このようなことがわかるのも、川が本来もっている特徴をよく残しているからです。それは、四万十川がもっている蛇行が、人によって矯正されることなく、大型のダムもなく、ありのままの姿で流れているからです。もちろん、護岸をされているところや、堰も、生活廃水がそのまま流されているところもあります。ビニールやビンなどのごみもみかけます。ですから、まったく自然のままの川の姿というものではなく、人手が加わっています。

 ごみをみて自然じゃないというの早計です。人の生活の痕跡は、人がその地で暮らすとき、きっと残るものです。里山や雑木林も同じようなものでしょう。人がその地で生きるということは、自然から恵を得るということです。自然は恵みだけでなく、災いももたらします。もちろん、災いはありがたくないものですから、人は災いを避ける努力をしてきましたし、これからもしていくでしょう。

 それを、どこまで、どの程度おこなうか、どのような視点で考えておこなうかが問題ではないでしょうか。例えば、川をまっすぐに矯正すること、護岸をすることで得られるメリットとデメリットを、慎重に考えることが必要だと思います。

 もちろん、そのような対策をすれば、当面の災いをそれで取り除けるでしょう。でも、長い時間、数10年や数100年のスケールで考えて処理すべきではないでしょうか。いちどいじった自然を元に戻すことほど、ばかげたことはありません。それに、多くの河川や海岸線でそのような矯正の実例は、一杯あります。そこから学ぶべきでしょう。

 長い時間を視点にした川との付き合い方を忘れてはいけないような気がします。これこそ今よくいわれる持続可能性だと思います。そんな長い時間をかけた川との付き合いは、じつは何100年にもわたって私たちの祖先はやってきました。もちろん治水もやってきました。でも、過去の治水は、四万十川でみたような、人がそこで川を最大限に利用して生活できる程度のものであったはずです。祖先たちは、川の本来の姿を残したままの付き合い方をしてきたのです。

 智恵ある生物、人として、同じ失敗をしないだけの智恵、うまい付き合いの方法を忘れないだけの智恵を持ちたいものです。

2003年7月1日
小出良幸

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 画像-1 四万十川の衛星画像(2001年10月31日、2001年11月7日、2002年1月10日観測のASTER/VNIR)
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 ASTERの擬似ナチュラルカラー画像です。この画像は、2001年10月31日、2001年11月7日、2002年1月10日の3回にわたって撮影された衛星画像を合成したものです。雲や霞のかかった帯状に見えるところは、違う日の観測の画像を継ぎ合わせて合成したためです。四万十川の河口から源流までは、直線距離にすると60kmほどですが、流路としては、196kmもあります。四万十川は、激しい蛇行をしていることがわかります。また、赤い直線で示したところは、海にいちばん近いところで8kmほどしか離れていません。これも激しい蛇行のなせるワザでしょうか。

ASTER image
画像-2 四万十川の衛星画像(2001年10月31日、2001年11月7日、2002年1月10日観測のASTER/VNIR)
画像の拡大(jpegファイル2.2MB)

 ASTERのフォールスカラー画像です。擬似ナチュラルカラー画像と同じ画像で、違う処理をしたものです。この画像は、赤をASTERバンド3に、緑をバンド2に、青をバンド1に割りあてて作成したものです。このような処理をした画像では、植物あるところでは、ASTERのバンド3(近赤外領域)の色(赤)が強くなりますが、他とバンド(色)は弱くなります。つまり、植物が多いところは赤色で示されます。水色は、市街地(人工構造物)になります。市街地は見えますが、秋から冬にかけての撮影ですが、四万十川流域は緑豊かな地であることがわかります。 

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図-1 画像位置図

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写真-1 四万十川の源流

 四万十川の源流は、四国山地のふもと、高知県高岡郡東津野村、不入山(いらずやま、標高1336m)の東側斜面、標高1200m付近にあります。林道から20分ほど急な斜面を登ると、源流の標識があります。本当の源流はもっと上でしょうが、いけるのはここまでです。これ以上は人がはいってはいけない不入山です。源流は、四国カルストの南側の斜面にあたるため、石灰岩が川原の石として目につきます。

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写真-2 中流の川原

 川原には、川の流れによって洗われたきれいな石ころがあります。日本のほとんどの大きな川には、上流にいくつものダムがあります。ダムよる治水のため、大雨が降っても川原の石がほとんど動かなくなりました。川原は、汚れたり、草が生えてしまっています。さらに多くの人が、車を乗り入れ、キャンプや焚き火をするため、川のきれいな石や石の並びも消えてしまいます。ここ四万十川では、きれいな川原をみることができました。

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写真-3 川漁師の船

  四万十川では、川漁師が今も漁を生業としています。船を使ったり、川に入って網でとったり、ワナを仕掛けたりなど、その漁の方法はさまざまですが、今でもテナガエビやアユ、ウナギなどが生活の糧として利用されています。もちろん観客もそのおこぼれに預かります。四万十川は、今も流域の人々の生活にとって重要な役割を果たしているのです。

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写真-4 川遊び

 四万十川は、観光としても利用されています。屋形船で川くだりを楽しんだり、急流をボートでくだったり、穏やかな流れをのんびりとカヌーで楽しむ人、川で水遊びをする子供たちなど、さまざまな形で川は利用されています。そういえば「○○禁止」の看板や柵などは見かけませんでした。一つ見かけた古ぼけた看板には、こんなことが書いてありました。「この川を汚す者打ち首獄門に処す」と。

 

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写真-5 四万十川の河口

 四万十川は、高知県中村市で太平洋にそそぎこみます。河口の左岸は港があるためでしょうか、砂を盛り上げてテトラポットやコンクリートで護岸してありました。河口を横断する渡し舟がいまだにあり、旗を振ると来てくれます。この渡し舟を利用して、子供とおじいさんが、対岸の岸壁まで釣りに行くといっていました。渡し船はいまだに現役です。四万十川は地域の人と密接に関わっています。

 

 

画像-1〜2についてはJSSに、写真-1〜5および文章に関しては札幌学院大学小出良幸に著作権(所有権)が帰属いたします。転用等の際はJSSの許可が必要です。


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